学校へ行かないということ

学校に行かない=勉強しなくていい。すきなことだけしてればいいっていう話があります。
不登校児が集まるフリースクールに行ってみたら、全員が顔も上げずにゲームをひたすらやってる。という話もあります。
それに対して、そんな好きなことだけしてればよいフリースクールなの?・・・という批判があります。
不登校になった子ども達は、本当に!弱り切っています。たいていはリハビリから始めないといけない。その次の段階として、外に出る練習となる。
ほとんどの場合、学びができる状態じゃない。
だからまずは外に出て、家じゃない場所でゲームでもいいからやってみようよ。というフリースクールの形もあるわけで。
安心できる場所で自分の想いを話せる場所があって時間をかけてゆっくり回復できる環境が大事だったりする。とにかく話を聞くところから。寄り添うところから始まります。
弱り切った子ども達は学びができる状態にはないのです。(そこまで弱らせたのは誰かは置いといて)
だから今は安心できる場所の提供。好きなことをして心の回復を図るのが先となるのです。
病気入院中の子どもに勉強しろって当然言わない。今は休んで体の回復を考えましょう。「勉強はしなくていいよ」と言いますよね。それと同じ。
弱り切る前に学校以外の選択肢も!
それが拡大して、
学校に行かない=勉強しなくていい
かのようにとらえる流れもあります。
でも、元気があるなら、学校に行かない選択をしても別のことで大いに学べばいいわけで
学校で勉強する選択をする子と、学校以外で学ぶことを選択する子がいてもいい。学びはいろいろな形がある。
学校に行かない。それだけでどうして
(学びができる状態ではない。リハビリから)そんなところまで弱らせないといけないのか。
他に選択肢があれば、学校に行かない選択肢をした子どもが弱りきって(すきなことだけしていたらいい)ようなリハビリをしなくてもすむのじゃないか。
学校に行かない=学校以外で学ぶ。という選択肢があるということ。
弱り切った状態の子どもへの声掛け=(いまは)好きなことをしていたらよい。と、学校行っていない=好きなことだけしていたらいい。
とは分けてほしいな。と考えるのでした。
対して、「学校に行かなくてもいいよ」は違います。
(いまは)弱っているから学校に行かなくてもいい。のではなくて、学校はいつでも行かなくて も よい。のです。
そこまで弱る前に行かない選択をしていい。
それは、学校以外でも学ぶことができるから。
みんなと一緒の方法で、先生の言う通りに学ぶ方がずっと楽で簡単。学校は便利。お金もほとんどかからないし、先生も友人もたくさん揃っている。
それでも不便でも、他のところで学んでもいいはず。
学校以外でも、学び、生き、社会に参加することはできます。そういった学びたい子のサポートをする多様な学び場があってほしい。
学校に行かない=学校に行けなくなるほど元気がない。だから勉強はしなくていい
から
学校に行かない=学校以外で学ぶ。
そういう多様な選択肢が沢山広がることを願っています。
・・・「イエナプラン勉強会」につづく